明治時代初期には、女性の「処女性」なんてことは考えていない。
処女性を問題にするようになったのは、戦後じゃないかなぁ。
「昔は見合い結婚」と思い込んでいる人がいるが
あれは一部の「士族」のプライドの高い人たちのことで、
多くの民衆はそんなことは考えていなかった。
しかし、何で女の処女性だけを問題にしたんだろう。
処女崇拝は明治24年頃、
北村透谷が「処女の純潔を論ず」という論文を書いたのが始まりと言われている。
明治の御世になって文明国の仲間入りをしたのだから、
女は結婚するまで処女であるべきだと主張した。
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